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最高裁判所第一小法廷 昭和39年(オ)1453号 判決 1966年12月22日

上告人 須藤康江(仮名)

被上告人 村本佐平(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人斎藤兼也の上告理由第一について。

原判決の確定するところによれば、訴外村本孝は、昭和三四年七月三〇日家出して以来行方不明になり、同年一二月七日死体となって発見されたのであるが、被上告人ら孝の家族は、孝の死体発見により始めて孝が死亡したことを知ったというのである。このような場合、たとえ孝の死亡が同年七月三〇日頃と推定されるとはいえ、孝の相続人である被上告人が孝の行方不明中判示の事情から孝所有財産の一部である判示動産を他に譲渡したからといって、民法九二一条による単純承認擬制の効力が生じないとした原判決の見解は正当である。原判決に所論の法律解釈を誤った違法がなく、論旨は採用できない。

同第二について。

訴外村越孝の死亡判明後にした所論道具類の無償貸与行為は民法九二一条一号にいわゆる財産処分行為にはあたらないとした原判決の判断は正当であり、また、被上告人において右各物件を所論訴外会社に使用させることにより又はその他の方法により隠匿した事実を認めることのできる証拠はないとした原判決の認定判断は、その挙示の証拠関係に照らし肯認できる。原判決には何ら所論の違法はなく、論旨は理由がない。

よって民訴法四〇一条、九五条、八五条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎)

上告理由

原判決には民法第九二一条の解釈適用を誤った違法がある。すなわち、

第一、原判決は「民法第九二一条第一号本文の相続財産の処分により単純承認をしたものとみなされるのは、元来相続財産の処分は相続の単純承認をした者だけがなすはずであり、相続の単純承認をしない者はかような処分をしないはずであるという経験的事実に基いて規定されたものであり、相続の単純承認は相続の開始を知った者がはじめてなし得るところであるから、自己のために相続の開始があったことを知らない者がこれを知らない間に同条第一項本文の財産処分をなしても、これにより同条による単純承認擬制の効力は生じないものと解するのが相当である。従って被控訴人〔註、被上告人〕が相続開始の原因たる孝死亡の事実を知る前、すなわち被控訴人において相続の承認又は放棄を未だなしえない時期においてなされた前記各行為によっては相続の単続承認をしたものとみなすことはできない。」と判示している。

本件において右の村本孝は昭和三四年七月三〇日午後七時頃催眠薬自殺により死亡したものと推定され同年一二月七日その白骨化した死体が発見されたものであり、被上告人ら家族が右の一二月七日に至ってはじめて孝の死亡を知ったものであるとしても(事実は同年八月上旬には既に孝の死を推測していたものである。)孝の死亡した右の七月三〇日に、被上告人ら家族の知・不知にかかわらず相続の開始があり孝の所有に属した財産はいわゆる相続財産となったのである。

民法第九二一条は『左に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。』と定め同条第一号ないし第三号の原因事実がある場合には、相続人の意思に関係なく、当然に発生する法定効果として相続の効力を無制限に確定し相続の放棄や限定承認を許さないとするものである。

而して同条第一号本文は『相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。』とのみ規定する。従って孝の相続人(長男である被上告人が孝の死亡後その財産すなわち相続財産の全部又は一部を処分すれば、その事実によって相続の効力を確定し被上告人の相続の放棄・限定承認はもはや許さないとする趣旨であると解すべきである。元来相続の放棄・限定承認は相続人に与えられた特権であるけれども『相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき』はこれが特権を奪い、相続債権者を保護しなければならないとする法意だからである。

従って同条第一号本文の場合には、その文理上も法意の上からしても『相続人が相続財産の全部又は一部を処分した』事実があれば当然に、相続の単純承認という相続確定の効果が発生し、右の相続財産の処分について相続人が「自己のために相続の開始があったことを知る」必要はなく、同条第二号の相続人が第九一五条第一項の期間内(自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内)に限定承認又は放棄をしなかったときとは、自ら法の趣意を異にし同列に解されるべき謂れがないのである。

故に前示の民法第九二一条第一号本文についての原判決の解釈は誤りといわなければならない。

第二、また原判決は「孝が家出して行方不明になった当時孝の所有財産として左官営業用の鍬スコップなどの道具類及び自転車六、七台があり、当事者間に争いのない昭和三四年八月一七日訴外有限会社村本工業所設立以来、孝の死体発見及び相続放棄の申述後においても、これらのものを同訴外会社が使用している」が、「訴外会社により事実上使用されているものであって譲渡は勿論賃貸借契約が結ばれているものでもない」とし、「右認定のようにいずれも消費物資でない右各物件の事実上の使用を被控訴人において右訴外会社に許容していることが民法第九二一条第一号但書所定の保存行為の域を脱するものでないことは、右但書において保存行為と並んで同法第六〇二条に定める期間を超えない賃貸借を規定していることからも明らかであり、従って右事実を以って被控訴人が民法第九二一条第一号により単純承認をしたものとみなすことはできないし、

又被控訴人において右各物件を右訴外会社に使用させることにより又はその他の方法により隠匿した事実を認めることのできる証拠もないから、これを以て同条第三号所定の隠匿として単純承認をしたものとみなされるとする控訴人主張も採ることができない。」と判示している。

しかしながら

一、原判決の「右各物件の事実上の使用を被控訴人において右訴外会社に許容していること」は、訴外会社すなわち有限会社村本工業所は被上告人が代表者となっているものでもなく、被上告人は単なる一出資者にすぎず、右物件の使用は法律上使用貸借であることは明白である。而して原判決は右の使用を「保存行為の域を脱するものでない」とし民法第九二一条第一号但書の規定を掲げるのであるが、本来保存行為は財産の滅失・毀損を防止しその現状を維持する行為であり保全を目的とするものであって、右のごとき物件の使用は、保存行為に対する利用行為であり「保存行為の域を脱するものでない」とは断じて法律上いい得ないところである。

二、而して利用行為は、物の用方による有利な使用を指し収益をはかる行為である。物の賃貸はその適例であろう。民法第九二一条第一号は物の賃貸について、これを同号にいう『処分』に当るものとしていることは同号但書に『第六〇二条に定める期間を超えない賃貸をすることはこの限りでない』と規定していることによって明らかである。

しかも右の民法第六〇二条によれば、前掲原判決判示のごとき物件の『動産の賃貸借は六ヶ月』であるから、動産については、たとい対価を収受する有利な利用行為である賃貸ですら六箇月以上のものは、右の民法第九二一条第一号においては『処分』行為となるのである。

しかるに本件においては、前記のごとく被上告人の訴外会社に対する前示物件の使用貸借は勿論無償であり収益を伴うものではないのであって、相続財産を損耗する以外の何物でもないのである。のみならず前掲原判決認定のとおり被上告人は昭和三四年八月一七日以来被相続人孝の死体発見による相続開始の確知・昭和三五年三月一〇日申述受理の相続放棄手続を経て、爾後も本件控訴審中の昭和三八年末まで(その後は被上告人の国外脱出により不明である)の長年月に互って、訴外会社に対する無償使用を継続せしめたものであって、かかる行為は、もとより民法第九二一号但書には該当せず同号本文にいわゆる『処分』といわなければならないものである。これに関して“共有土地を無償で他人に使用収益させるのは特別の事情のないかぎり共有物の管理とはいえない”昭和一一年六月一三日台湾高等法院判決(判例体系8IV一四五頁)が参照されるべきである。

三、次に上告人は村本孝に対して同人の死体発見(昭和三四年一二月七日)前の同年九月一日、約束手形金債権二九万五千円保全のため孝方に赴き孝の財産に対する仮差執押行をなしたが、これによって仮差押しえたものは僅かに一二点のものにすぎず(甲第三号証の一仮差押調書)、原判決判示の左官営業用の諸道具及び自転車六、七台は既に隠匿されて所在せず(前記のごとく訴外会社で使用中であり債権者において追求しえない状態に置かれていた)、さらに右仮差押の点検時(同年一〇月二三日)においては仮差押物件についてすら二点の存在がなく債権者に対して隠匿行為が行われていたものである(甲第三号証の二点検調書)。

又被上告人申請の証人清川栄の証言(昭和三六年一〇月一八日)によれば被上告人は前記の訴外会社に対して、孝所有の(すなわち昭和三四年七月三〇日死亡により既に相続財産となっていた)前記左官営業用の諸道具及び自転車六、七台のみならず、孝死亡時の品物は訴外会社に使用せしめており「家」も同会社に使用させている事実が明らかであり、さらに被上告人自身の本人尋問における供述によっても(第一審二回昭和三七年五月二三日)、被上告人は孝所有であり既に相続財産となっていた寝具毛布等を訴外会社に使用させ――訴外会社従業員に貸与している事実も判然とする。要するに右清川証人の「会社になっても前と同じです」との証言が表現するように、被上告人は父孝の家出後同人の所有物(前述のごとく昭和三四年七月三〇日以後相続財産となった)を使用し消費し又は他に使用せしめ或は債権者を害するために家財道具を前記清川宅に運搬し去って隠匿するなど、自己の財産におけると全く同様に自由に処置していたのである。しかるに、かかる行為をなしながら、他方孝の債務を免かれるためにのみ相続放棄の申述をなしたものであり、これが本件における真相であって、その不法なこと架言を俟たずかかる被上告人が法により保護されるべき謂れがないところである。

前掲の左官営業用の諸道具及び自転車六、七台については勿論被上告人供述による寝具毛布等の貸与、使用せしめた「家」についても、民法第九二一条第一号本文にいう相続人たる被上告人のなした相続財産の『処分』に当ること、前記二、に述べたと同様である。

而して同条第三号の規定は相続放棄の前後を通じて適用されるべきものと解されるところ、被上告人の前述した孝所有物――相続財産の孝宅からの移転は債権者に物の存在を知らしめない行為であり相続財産の隠匿であることも明らかであるといわなければならない。

よって右一、ないし三、の理由により原判決の前掲判示は、民法第九二一条第一号、第三号の解釈を誤り同法条を適用した違法があるといわなければならない。

以上第一、第二に開陳した理由によって原判決は破毀されるべきものと思料する。

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